マルチン・ニーメラー牧師の言葉

「最初にナチス共産主義者を弾圧した時、不安に駆られたが、私は共産主義者でなかったので、何の行動も起こさなかった。次にナチス社会主義者を弾圧した。私はさらに不安を感じたが、社会主義者ではなかったので何の抗議もしなかった。それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、その度に私の不安は増したが、それでもまだ行動に出なかった。ある日、ついにナチスは教会を弾圧してきた。そして私は牧師だった。だから立ち上がって行動に出たが、その時はもうすべてが遅かった」


現代日本は良い国で、普通に暮らしてて人権侵害を食らうことは滅多に無い。
(こういうことを思うと、改めて、憲法に「守られてる」んだなあと思う)。
そういうのもあって、たまに街であるシュプレヒコールに対しては、少なからぬ人が(特に若者は)「なんかやってる」程度の冷ややかな気持ちしか抱かないんじゃないだろうか?
白状すれば、僕はそうだ。
実際、過度な騒音や劣悪な表現で周囲に迷惑をかけすぎることは、あると思う。
でも、なんでもかんでもそういう活動を、よく知らないのに「なんか意味の分からない、なんか気持ち悪い」と白眼視するのはやっぱ駄目だよね。

自分がそういう状態になっているときに、冒頭に掲げた発言思い出すと、ハッとする。