オリジネイターに対する敬意

違法ダウンロードって、なぜいつまでも放置されているのかしら?
アップロードを取り締まるだけじゃいつまでも終わらないのでは。
フランスには、違法ダウンロードをしたら『警告』が届いて、それが3回累積すると刑事罰適用、という法律があるそうな。
この方法、すごく良いと思うんだけど。


音楽の売上が落ちているのは、曲自体のレベルが下がっているのもあるだろうけど、「お金を払わなくても聴けるから」という状況はやっぱり大きいと思う。
「気に入ったらお金払って買うからむしろ売上に貢献する」という人いるけど、、、ないない。
絶対、違法ダウンロードで済ます人、無料動画サイトで満足する人のほうが多いから。それも格段に。
知的財産に敬意を払わないと、優れた芸術も産まれにくくなってしまうよ。
そういえばそういうようなことが内田樹ブログに書いてあったことを思い出したので、探して見つけて引用。


***********
中国の危機は「著作権」についての施策において予兆的に示されている。
ご存じのようにかの国においては他国民の著作物の「海賊版」が市場に流通しており、コピーライトに対する遵法意識はきわめて低い。
それによって、現在のところ中国国民は廉価で、クオリティの高い作品を享受できている。
国際的な協定を守らないことによって、短期的には中国は利益を得ている。
けれども、この協定違反による短期的な利益確保は、長期的には大きな国家的損失をもたらすことになると私は思う。
それは「オリジネイターに対する敬意は不要」という考え方が中国国民に根付いてしまったからである。
誰が創造したものであろうと、それを享受する側はオリジネイターに対して感謝する必要も対価を支払う必要もない。
国民の多くがそういう考え方をする社会では「オリジナルなアイディア」をもつことそれ自体の動機づけが損なわれる。
これは論理的には当然のことである。
「新しいもの」を人に先んじて発明発見した場合でも、それはエピゴーネン剽窃者によってたちまちむさぼり食われ、何の報償も与えられない。それが「ふつう」という社会においては、「オリジナルなアイディア」を生みだし、育てようという「意欲」そのものが枯死する。みんなが「誰かのオリジナル」の出現を待つだけで、身銭を切って「オリジナル」を創り出すことを怠るような社会は、いずれ「そこにゆかなければ『ほんもの』に出会えないものが何もない」社会になる。
「オリジネイターに対する敬意」を持たない社会では、学術的にも芸術的にも、その語の厳密な意味における「イノベーション」は起こらない。
イノヴェーティヴな人々はもちろんどこでも生まれるけれど、彼らは「中国にいてもしかたがない」と考えるだろう。
オリジナリティに対する十分な敬意と報酬が約束される社会に彼らは出て行ってしまう。
(中略)
創造的才能を「食い物」にするのは共同体にとって長期的にどれほど致命的な不利益をもたらすことになるかについて、中国政府は評価を誤ったと私は思う。
http://blog.tatsuru.com/2010/03/24_0728.php
**************


以上は中国について述べた部分だけど、程度の差はあれど中国以外の国にも当てはまるよね。


あとついでに言えば、海外で日本の漫画が無料で観られまくるのもどうにかしよーぜ。
海外を介して日本人すら無料で観られるのをどうにかしよーぜ。
なんでいつまでも放置してるのかまじ疑問。
「そうでもしなきゃ日本の面白い漫画を読むことができないんだよ!」って海外のファンのために、流通の人達もっと頑張ろうぜ。